急性蕁麻疹、アナフィラキシーショック
夜中、猛烈なかゆみで目が覚めた。
かゆい!とにかくかゆい。
シャツめくって体みると蚊に刺されたような赤い盛り上がりがいっぱい。
「あー蕁麻疹だ。」何食べたっけ?
かゆいから思いっきり掻きたいけど掻いたらえらいことになる。
掻きたい掻きたい掻きたい掻きたい掻きたい。
あーかゆい。
でもとにかく我慢!明日には治まるだろうからしばらくの我慢。とにかく冷やそうと思い冷蔵庫へ保冷剤をとりに行った。
冷やそうと思っていたけら今度は息が苦しくなってきた。
あれ?何か違う。前回蕁麻疹になったときと何かが違うと感じた。
息が苦しくなるなんて初めて。
これはまずいと救急で診てくれる病院を探しはじめた。
電話口で症状を説明したけど該当の病院が見つからないという。
こちらとしては、とにかくかゆみだけでもなんとかしてもらいたくて蕁麻疹の症状で恐らく間違いないと主張し、何科でもいいから診てほしいと訴えた。必死。
呼吸が苦しいということで外科を紹介したいところだが内科医しかいないのでそれでもいいか?と聞かれ、全く問題ないと答えた。
電話を切るころには口の中全体がしびれてきた。
これはまずいと思い、長女だけ起こして事情を説明し病院へ向かった。
夜中の3時。外は真っ暗で寒い。
教えてもらった病院が自宅から近かったので自分で運転した。
その日、何を食べたか思い出していた。
シイタケ狩りにいったからと、大量のとれたてのシイタケをいただき食べた。
あとは、自分で作ったケーキ。それから豚汁、生野菜、ごはん。
あたっているとしたらシイタケしか考えられない。
いや、もしかしたら全捨離の好転反応か?
それとも疲れ? 最近寝不足。
わずか数秒のうちに色んな考えが巡っていた。
病院へついた。
救急出入口へ向かう途中に、息がさらに苦しくなり意識が遠のくような感じがした。
そこから先は記憶がなくて気づいたらベッドの上にいた。
女の人の話す声で目が覚めた。
すぐに携帯を探した。ポケットに入れていたがなかった。
病院にいることはわかっていたので、話している女性の看護師に携帯が必要なので持ってきてほしいとお願いした。
携帯と他の荷物と一緒に医師がやってきた。
「急性蕁麻疹・アナフィラキシーショック」と診断したとのこと。
何が反応したのかわからないが、恐らく山でとれたシイタケだろう。
原因追及するにはさらに詳細な検査が必要だという。しかもこのまま入院するように言われた。
長女には事情を説明していたが、入院はしたくなかったのでそう伝えた。
医師としては入院がベターとのことも、症状がおさまっているので退院の許可をいただけた。ホッとした。もし、旦那が生きていたら間違いなく入院していたと思うが、こういう時にいないとほんと困る。生きててくれたらなー、と心底思う。
ま、仕方ない。
実家の母には病気の父の看病で毎日大変なのがよくわかっていたので連絡したくなかった。心配させたくなかった。
逆だったら、連絡してほしいけど。
お昼近くになっていた。
金曜日だ。数時間前の出来事なのにやたらと長く感じた。
そういえば、職場からものすごい数の着信履歴がある。
あわてて電話した。
もう少し早く連絡してくれないと困るとしつこいほど言われた。
確かにそうだが、「大丈夫?」の一言すらなくがっかりだ。
こういう時は嘘でもそう言ってほしい。
今に見てろ! そう思った。
医師に、薬は出来るだけ使いたくないと言ったので、処方されたのは保湿剤の「ヒルドイド」のみ。
ステロイド剤の点滴をしたので、かゆみは急速におさまっていた。赤いぽつぽつは少し残っている。
とにかく、眠い。家に帰ったら死ぬほど眠りたい。
長女は下の姉弟たちには何も言わなかったようだ。
帰る前にLINEで、点滴で症状おさまったので終わったら帰ると言ってあった。
帰宅したら、掃除も洗濯も全部終わっていた。
涙がでてきた。
ふだん怒ってばかりの長女。母親代わりを精一杯してくれたんだろうな。
ありがたかった。
これからは怒らないように気をつけよう。
怒りからは何もうまれない。
穏やかに、楽しく生きていきた。
とにかく家族で笑いながら楽しく生きていきたい。
金曜日のお昼過ぎから土曜日の夕方までずっと寝ていた。
おかげで身体は少し楽になった。
ブログをはじめたものの、仕事もあるし時間が限られている中でのスタートだったので中々慣れなかった。ようやくペースがわかってきたところでダウン。
人生アップダウンの繰り返し。
ま、ぼちぼちいこか。
この週末は、生きてることがこんなにも素晴らしくて有難いなんて、あらためて感謝の気持ちで一杯になった。
守護霊さまに感謝。
いつも読んでくださる方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも舞ペースに頑張っていきます。
お読みいただきありがとうございました。